脱サラして植木屋になるまでの道のり

周囲の反対に心折られそうになりながらも、サラリーマンを辞め(2019年3月31日済)植木屋になります。リアルタイムヒストリー。Twitter https://twitter.com/iaity?s=17

shoe doc読了

きっさんにすすめられて読んだ本

 

ナイキを作った人とその仲間たちのお話

 

正直これ読んで靴屋やりたいと言ってる

きっさんのこと理解できないけど

 

理解できない方が勝つことっていうか

進んで行くこともあるんだ

だからいいんだ

 

 

伝記っていうか

自分で書いてるからね

サクセスストーリーだけど

ずっとぎりぎりなんとかしてくの繰り返しで

いつの間にかでっかくなった

 

とてもこんなことになるとは

なかなか思えない会社だった

いいなぁと思ったというか共感できたのは

 

できそこないの集まりというところと

頭パーにするため?に走るというところと

なんか歴史をよく勉強していることと(そんなこと書いてあったか?)

とにかくバットフェイスが楽しそうというのと

(バットフェイス=ナイキの中心人物のチーム、初期のメンバー=できそこないの)

 

まぁ、普通に参考になるところは、まぁ、あったね、あの、困ったら走ればいいということ、

 

結構金で解決っていうこと多かったな

 

長い本だからね

 

忘れているところもある

 

というか

 

もうほとんどを忘れている

 

しかし、それでいい

 

その時が、来れば、きっと、大事なことを思い出せるはずだ

 

サンキュー、フィル・ナイト

 

 

 

 

 

子供ちゃん

わてのこどもはすききらいするわ

すぐ泣くわ

ビビりやわ

 

いろいろあかんたれなんですけど

それはそれは正直もので

素晴らしいです

4歳

 

その中でも一番いいなって思えるのは

すぐ忘れることです

悪いことして

泣かされた後でも

泣き止んだら

もう

まったく

さっきの

ついさきほどの怒られたこととか

なかったかのように

戦お(遊ぼ)っていってくるんですよね

感動します

 

 


今日は、お屋敷のマキを剪定してたんだ。
中学校の通学路だから、若い人たちがいっぱいいた。こんな性格なので、高い木に登ってちょきちょきしてるの見られてるんじゃないかって、ちょっとウキウキしてた。まぁ、見てたとしても、100人に一人だろうな。でも、やっぱ見られてるって意識するのって、いいことだ。なあ?
結局だれも話かけてくれなかった。

(そりゃそうだ)
だいたい話しかけるのは自分からだ。しかも、ご年配の方がほとんどだ。畑の人。植木屋さん。うみんちゅ。空き缶ひろいのおっちゃん。畑の人。暇そうな人は話しかけやすい。(失礼)
そういう人と話すのが大好きだ。今日の夕方、暇だったので、近所に来てる植木屋さんに話しかけようと思ったけど、目の前まで行って、やめて、近くのベンチに座って様子を見ていた、雨が降ってきたから、傘をさして様子を見ていた、そしたら、自分の奥さんが通りかかって、何してんねんっていう目線を投げて、そのまま通り過ぎやがった、そしてそのまま奥さんを追いかけて家に入った。

なんで植木屋さんに話しかけなかったか、なんかあんまり気がのらなかった、たぶん、忙しそうにみえたからだな。

時間をたくさん持ってるってすごい素敵なことなんだな、時間をたくさんもっていたら、話しかけてもらえるのかもな。(変な暇人に)

 

フィリピンから帰ってきた久米さんと会った。夜の浜寺公園でコンビニのコーヒーをおごってもらった。やっぱりこの人はおもしろいなー。お互いの近況報告をしながら、めちゃくちゃ笑った。
ベンチに座って喋ったあと、散歩して解散した。ちょっとのつもりが映画一本分くらいの時間がたっていた。夜の浜寺公園はため息が出るくらいよかったよ。涼しくて、暗くて、ルールがなくて、道の真ん中で寝っ転がっても大丈夫、ちょい悪の子供は運河沿いでバーベキューしてた。人は少なかったけどいて、みんな、みんな、好きなことしかしてなかった。
久米さんはフィリピンで2回死にかけたらしい、そういえば、なんか、人格変わってたな、弱みをみせてくれた。
今日、来てよかった。

別に元気ビンビンにならなくていいけど、元気でいて欲しい。なにかできることがあれば、してあげたい、たぶんないけど。ないけど、飽きるまでは週に一回くらいまた、夜の浜寺公園で会いたい。時間は、たくさんもってそうだった。

夜の浜寺公園は暗くて顔はっきり見えないからね。落ち着く。

自分の近況を話したら「心配でブルーなるわ」と言っていた、金のことだと思う。けど、あと一年は大丈夫だから、大丈夫だよ。

久米さんに、思っていることをきちんと話せただろうか。結構いいせんいってると思う。

本当、大丈夫なんで、まだ、あと一年は。

ただで住める家

ごりごりごり押しすれば

ただで住めるかも知れないなという家が2軒ある

 

一軒は銭湯が近いので

マジで住める

(貸してくれるかは不明)

 

だが

しかし

それは一人ならの話である

 

つまり

家族とではちょっと厳しい

それは奥さんがどうこうではなくて

友達とでも厳しい

自分は許容範囲が広いので

大丈夫なだけ

 

 

奥さんといえば

さっきケンカしました

奥さんと

 

私は

寝るんですよね

下手したら7時とかに

疲れたとかいって

一回寝るときあって

子供の相手とか

ぜんぜんしないし

いびきかくし

 

それがむっちゃムカつくみたい

 

こっちはどちらかというと放任したくて(子供)

泣いても放っていたりするんですけど

(放って携帯イジったり、テレビみたり、本読んだりしてる)

 

それもムカつくみたい

 

何回言われても

メンボーとか爪切りとか飲んだコップとかそのままにしたり

靴下を机においたり

子供をぶっ飛ばしたり

すぐものなくしたりするのも

 

それもムカつくみたい

 

 

そんなもんかな

あとあるかな?

 

 

ごめんなちゃーい😜

 

 

 

 

感想

近いこと思ったことがある

 

なにか作りたいな

どんなもの作ろうかなって思ったときに

面白いものとか

感動するものとか

分かりやすいものとか

っていうのは

 

自分が作らなくても絶対にだれかが作ってくれるから

わざわざ自分が作るまでもないというか

そういうものが苦手な自分がやるより

そういうのが得意な人が

喜んで作っているから

そこは甘えてちゃおう

その人たちにまかせよう

 

必要なものって誰かがやってるし

やってくれるから

自分はどっちかというと

だれも必要としないものを作ろうと

思ったことありますね

 

まぁブログのことなんですけど

みんなに向けてみんなのためというよりは

自分に向けて自分のために

書いてます照

 

あとはね、

もうひとつなんか思ったんですけど、

なんやったかな、

(もう一回読んだ)

 

あっ、そうや、

もったいないの話で、

余りものを活かすのが好きというのがあったと思うんですけど

 

あっ、これ、マジで自分の話やけど、

あの自分も

余りものとか結構好きで

というか人の選ばないものが結構好きで

マイナーというか

負けてる方が好きというか

逆にいきたがるというか

そういうところがありまして

そういうところあります

 

あるなー

 

感想としては

人と違うことをするっていうのは

クリエイティブっていうか

かっこいいと思います

 

あと、

循環っていったらあれやな

生態系とか

輪廻とか

仏教とか

そして縄文時代やな

自然からもらって自然にかえすみたいな

 

 

こうちゃん縄文顔やな

 

 

 

ジレンマ

能動的に動きたいというか

 

攻めたいと思って

 

ナンパしてうまくいって

 

付き合って毎日会っていると

 

いつの間にか守りになっている

 

 

 

っていう感じになってる

 

じゃあどうするの?

 

違う子をナンパするのか?

 

それも良いけど

 

うまくいったところで、

 

また、それ、守りに入っちゃうじゃないですか

 

ナニコレ?

 

ずっと攻めていかなくちゃいけないのか?

 

ずっととっかえひっかえしてないといけないのか?

 

※わてがナンパしたのは、植木屋のおっさんです

 

そんなわけはないと思うんだな

 

相手を替えるじゃなくて

 

自分を育てていくことが必要なんだな

 

なるへそ

 

もらうということ

師匠にコジキといわれ

 

ほんまやなとは一度思ったんですけど

 

なんか完璧には腑に落ちずに

 

ぼんやり考えていたことを書きます

 

 

まぁ、もらいものや拾いものでも

 

キレイであれば、良いのかも知れないし

もらいものだと言わなければ、良いのかも知れない

 

ただそれがもらいもの(拾いもの)と分かってしまうと「アララ」と思う人がいる

 

結構な数いる

 

そういう人の方が多いだろう

 

というのは、分かった

 

 

ただそれでも

 

うっせーと思って

もらいものを使い続けてもいいし

そこは改めるべきだなと

新しく買ってもいい

(当たり前のことをすげえ書いてるな)

 

 

で、

なんか腑に落ちなかったのは

もらうということって

結構自分の中で

良いと思っていたからなのです

 

さっき考えてて2つの良い点を言語化出来たので

 

今から思い出しますね

 

 

①もらうっていうことは良いことだから

 

、、、いや、それの理由を書けということなんですけど

 

補足しますね、なんか、すみませんね

 

ここ半年くらいの間に感じた

ケッコー新鮮な感覚なんですけど

 

もらう人(助けて欲しい)が不足している

 

このブログでも以前書いたかも知れませんが

 

もうねこの世のすべての人が毎日生活しているんですよ

 

生活できてるんですね

 

2種類あって

☆・・・あげたい人と

●・・・欲しい人

 

もろもろが溢れた時代なので

 

欲しい人ってあんまいなかったりするんですよ

 

急に来た人☆に「何か手伝いますよ」って言われても別に足りてるんですよね

ほとんどの人は

手伝ってもらわなくて大丈夫ですなんですよ

 

わての中ではね、

今そんな世の中

 

何かしてもらうより

してあげたいっていう世の中なんじゃだろうか

 

足りないのは足りてない人●で

欲しい人●なんですよ

 

だから何かしたいときは、

☆「時間あるので手伝いますよ」ではなく

●「暇で困ってるんです、助けて下さい」の方がいいんですよ

 

なぜかというと

人って結局誰かの役に立つことしたいんですよ

 

欲しい人●にあげるとその人●の役に立てるじゃないですか

 

そうすると嬉しいんですよね

 

道で喉が乾いて倒れている人がいて

その人に水をあげて喜んでくれたら

嬉しいでしょう

(あっそれってアンパンマンやん)

 

助けて欲しい●という声をあげるということは

助けた人の嬉しい気持ちを生むチャンスを、種をまくことなので

というか

助けてもらうこと=相手を喜ばせることになる

 

コジキを正当化するわけじゃないけど

逆もあるよと

コジキして嫌われるんじゃなくて

好かれるみたいな

こともあり得る時代だよ

 

一概には言えないよと

 

 

 

 

ここで終わりなんで

この下は、超絶駄文ですし、

意味わかんないかも知れないです

(上も駄文やで)

 

 

もう使わないから脚立あげるとお客さんに言われて

 

で、それ翌年そのお客さんのおうち行ったときに

 

そのもらった脚立使って

 

「この脚立のおかげで大分稼がせてもらいました」と言えば、はい、10嬉しい〜、喜んでもらえるという仕組みです

 

 

ほんでねほんでね

 

もう10年以上前だと思うんですけど

自己啓発系の本で「賢者の書」

っていうのもらって

 

そこにこんな話があったんです

 

砂漠に2つオアシスがあり

東のオアシスには自分を喜ばせたい人●が住んでいて

西のオアシスには他人を喜ばせたい人☆が住んでいる

どちらが裕福かというと西だ☆

 

つまり西のしてあげたい人☆が裕福だって話だったんですけど

 

わてが言ってんのは

その一歩先の

 

何も持ってない助けてもらう人●

助けてくれる人☆を

喜ばせているっていう

 

これが2.0か

コジキ2.0

 

 

それになりたい

 

 

うちの奥さんなんかマッサージしてもらうばっかりだけど

すげえ気持ち良さそうにしてくれるから

こっちまで嬉しくなる

 

 

あいつは才能あるよ

コジキ2.0の

 

 

なんかまじで何言ってるか分からない内容になりました

 

 

そして序盤に2つの理由とか書いてたのに

②が出てこずすみません

溶けました

すみませんでした

 

 

参考文献「嫌われる勇気」