脱サラして植木屋になるまでの道のり

大久保陽介と申します。 恥ずかしながら1986年4月15日生まれ。 恥ずかしながら3900グラムオーバーの大きめの赤ちゃんでした。 恥ずかしながら生まれる前後の記憶はありません。 恥ずかしながら母の実家の東京(神田?)で生まれました。 恥ずかしながら4人兄弟(男男女女)の1番上です。 植木屋さんとして独立したいごくごく普通のサラリーマンです。※このブログは主に通勤電車の中で書かれています。

パパラギ 第9節から最終節まで

超、適当な感想。

※この感想は、自分の記録のためにもかいているので、解釈の間違えや意味を変に膨らませている所もありますので、ご了承願います。

興味のあるかたは、是非とも購入をお勧めします。

 

ツイアビ・・・南の島のおっさん(著者)

パパラギ・・・ヨーロッパの人のこと

 

第9節から最終節まで、まとめます。

 

第9節は、映画館と新聞について、

ツイアビは映画館のことをまやかしの暮らしのある場所と呼んでいます。

新聞は、すべての人の頭をひとつにしたがっていると言います。そして、一種の機械。考えを作り出す機械だとも言います。

 

 

うーん。この節は、難しい。

でも、何となく、スマホを見て、なんとなく読んで、薄っぺらい情報を仕入れて、すぐ忘れるというのに似ているか。

 

 

第10節は、精神について。

 

 パパラギは考えるのだ好きだとツイアビは言う。彼らはあんまり考えないそうだ。

 

確かに考えても分からないことだらけだ。

どうしたらこの国は、良くなるのか。

誰がよくしてくれるのか。

私はなんのために生きているのか。

なんであの人を好きになったのか。

 

この節丸々書き写したいくらい。

一文章だけ、書き写すと。

「あまり考えないのが馬鹿なのか、それとも考えすぎる人間が馬鹿なのか、それは疑問である」

 

なるほど確かに私は、考えすぎている。

結果なにも分からない。

あぁ、やっとひとつに分かった。

考えても分からないってことが分かった。

 

ソクラテスみないやな。知らんけど。

ソクラテス死ぬほど馬鹿なのかもな。

 

話はそれましたが、この第10節は、最高です。

 

 

最終節は、パパラギ、ダメだってことです。

 

我々に愛を、争わないことを教えに来てくれた(宣教師たち)パパラギが、殺し合い(第一次世界大戦?)を始めた。

 

彼らが私達に教えたことと矛盾している。

彼らの誘いにのってはダメよ。

 

という内容です。

もうどっぷりな我々には関係ない節です。

(この節の読解むずい)

 

 

 以上、パパラギを読んだ勝手な感想と誤解だらけの解説でした。

 

また、別で総括します。