脱サラして植木屋になるまでの道のり

大久保陽介と申します。 恥ずかしながら1986年4月15日生まれ。 恥ずかしながら3900グラムオーバーの大きめの赤ちゃんでした。 恥ずかしながら生まれる前後の記憶はありません。 恥ずかしながら母の実家の東京(神田?)で生まれました。 恥ずかしながら4人兄弟(男男女女)の1番上です。 植木屋さんとして独立したいごくごく普通のサラリーマンです。※このブログは主に通勤電車の中で書かれています。

一年前の日記(2016/6/25)

自分のダメさを語っています。

病んでいるな。

 

(以下、コピペ)

本日は土曜日、土曜日は隔週で出勤である。
午前中までで終わったので、寄り道して夕方まで一人の時間を満喫することにする。

 


もともと今の会社に定年まで勤めるつもりはサラサラなかった。

その気持ちはずっと変わらない。

そして昨日のブログを書いていて気付いたことがある。ワタシは会社を辞めるに当たって、奥さんの実家に甘えるつもりだったようだ。それもかなり早い段階でそう思っていたようだ。

ワタシと奥さんは、大学で出会い、付き合い始め、そのまま結婚した。奥さんは、生まれてから20数年間ずっと、大阪で、お父さんお母さんお姉さんおばあさんおじいさんと暮らしてきた。

結婚する前、ワタシは東京で勤めていたので、家族から奥さんと結婚することで、奥さんと家族をバラバラにしてしまう。ということを気にしていた。


ワタシの家は転勤族だった。その為、祖父母には、年に一回会えるか会えないかだった。
母方の実家が東京。父方は高知だった。

東京に転勤になったときは月に一度もないが母方の祖母の家に遊びに行った。ほんの数時間会うだけだか、毎回お昼にお寿司をとってくれた。

結婚前に奥さんが東京に遊びに来たときも連れていった。

とても喜んでくれた。

祖父は痴呆症で施設に入っていたし、祖母の話し相手になることは、ボケ防止にもなるし、今までできなかった祖母孝行ができている気がして、ワタシ自身も嬉しかった。

そのうちに結婚が決まり、奥さんと東京で新婚生活をスタートさせるのだが、奥さんの家族のために、特に祖父母のために、大阪に住むことがワタシの叶えたい夢の一つだった。

その後、社内で入社5年目シャッフルしようという試みが始まり、大阪で希望を出したワタシはあっさり夢を叶えてしまう。

奥さんが東京に住んだのはわずか一年間であった。

その間月に一度のペースで帰阪し、その都度泣いて東京に戻ってきた奥さんはなんだったのか。


そんな感じで、奥さんや、その父母と祖父母のため、大阪に住みたいのだとばかり思い込んでいた。

しかしその裏には、奥さんを実家に預けたら、自分は自由だ。もっと言えば、奥さんの実家や、祖父母に助けてもらいながら、自分の好きなことが(その時は植木屋という目標はなかったが、漠然と職人か、自営業をしたい)できるじゃんと思っていた。

実際、祖父母の住んでいる家は、のちのちワタシ達が頂けるものだと思っている。

ところがどっこい、いざ奥さんの実家で植木屋になりたいという夢を発表したのが、つい先月、猛反対を受け、撤退。

その後奥さんとの話し合いで、日曜日限定で始めても良いよ。という流れになり、それの許可をもらいに行くも、お話にならず。

なにしにきてん。帰れ。という空気の中、話を切り出すことすら出来ず、奥さんが導いてくれるも、義母号泣。

奥さんも基本的には、反対で、間に挟まれ精神的にきつくなっており、その話はしばらくしないでってなもんである。

話が出来なくなったので、ブログに書いているって感じである。


昨日のブログを書くまえは、大阪に住みたい理由の裏に、自分の甘い期待が隠れていたことに気付いていなかった。

気付いみて思うことは、結構はっきりその期待はあったみたいだ。

そして、その期待は、ばっさり破り捨てられたのである。甘かった。

きっと、ばれていたんだろう。

さぁて、どうする。

 

※おじいちゃん、おばあちゃんが毎日孫に会えるのが、本当にいいことなのかは分からない。
半年に一度会えて嬉しい気持ちも本当だが、孫たちが帰るとほっとするという気持ちも本当らしい。
やっぱ疲れるみたい。